あると便利、だから『アルト』。

ローカルコラム

2019.11.14

桜井 貴斗

マーケター桜井 貴斗

先日、浜松市内にあるスズキ歴史館に行ってきました。


浜松には3~4年前に2年間住んでいましたが、その時は子どもがまだ小さかったので行く機会はなかったのですが、先週、4歳児の息子と満を持して行ってきました。

「過去」を知り「創る」を楽しみがわかる

歴史館の構成はいって「2F:現在のクルマづくり ~世界のお客さまへ~」「3F:ものづくりの歴史 〜お客様と歩んだ歴史〜」の大きく2つに集約されています。

2Fのクルマづくりフロアでは、車の開発~生産過程(バリューチェーンの上流工程)を実際の機器や映像を見ながら体感できます。

(Webサイトより)
企画・デザイン、設計・テストなど、クルマを工場で生産する前に行われている「開発」と呼ばれる過程を紹介しています。クルマが企画される会議の様子やデザイナーがスケッチを描くデザインルームを再現。また、デザインを決定する工程で制作される実物大模型(クレイモデル)を展示。設計やテストの紹介コーナーでも、本物の車や記録映像を用いてわかりやすく展示しています。

息子は製造工場の3D映像がとても興味を持ったらしく、特に鋳造の仕組みを何度も聞いてきました。(Google検索しながらなんとか回答汗)

3F:ものづくりの歴史フロアでは、創業時(1909年)の織機の展示や、戦後の復興期、織機産業で培った技術をもとに自動車産業へと進出していく様子、高度経済成長期、マイカー時代の訪れとともに多様化した需要に応えて生み出された多種多様な二輪・四輪車が多数展示されています。

「アルト」誕生。

アルトの誕生秘話がとてもインパクトがありました。

(Wikipedia)
1979年(昭和54年)5月、発売。軽乗用車フロンテの商用版姉妹車である。型式はH-SS30V。「軽ボンネットバン」と呼ばれる「節税型軽乗用車」ジャンルを創成し、その後の軽自動車市場に大きな影響を与えた。当時、鈴木自動車工業社長に就任して間もなかった鈴木修が、社長就任後初めて陣頭指揮を執って製品化にあたった新型車であり、鈴木修自身にとっても自らの地位を確固たる物とした記念すべきモデルとなった。

マンガ(スライドショー)の映像がフロアで流れて居るのですが、これがいい。

アルトのターゲティング(Wikipediaより)
主に買い物や子供の送り迎えなどに自動車を使う主婦層の需要喚起を新たに狙った。スズキでは開発に先立つ市場リサーチで、当時“軽自動車の基本乗車人数は1-2名”というデータを得ており、前席の居住性が乗用車並みに確保できるバンの市場商品性に裏付けを持っていた。

主婦(女性)のセカンドカーをターゲティングとし、大人数で乗らないことを想定した車を開発したわけですね。

アルトのプライシング(Wikipediaより)
価格設定も大胆なものであった。同時期の一般的な軽乗用車は新車で60万円を超える価格帯で、これに高率の物品税が上乗せされた。一方で、日本の中古車市場では40万円から50万円程度の中古車の売れ行きが良好であったことから、スズキではそのクラスの需要を狙い、市販価格45万円程度の廉価な新車を提供することを目論んだ。この価格設定で利益を確保するには、製造原価を当時としても極度に低い35万円程度に抑えなければならなかった。

私もよく分かっていなかったのですが、昔のクルマは製造工場から遠ければ遠いほど輸送費がかかるため、定価に上乗せされていたみたいです。

となると、浜松で作っても静岡と青森では車両価格が違うわけですね。それを全国一律にした、ということです。

このメリットって価格訴求だけではなくて、プロモーションを打つときにクリエイティブを全国統一にできることもスケールメリットを出せる1つだと思います。

だから、「あると、便利」

ALTOの本当の語源はイタリア語で「秀でた」「優れた」の意味らしいですが、

・「女性のセカンドカー」というこれまでのクルマ需要とは異なるターゲット設定
・手ごろな価格帯と全国一律価格というユーザー志向を徹底
・低価格に合わせる製造ラインをつくったスズキの「創意」

それこそが日本が誇る価値なのだと感じました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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